「承太郎……。」 掠れた声で花京院が呟くと、彼らの隣に位置する背広姿の男が怪訝な顔で振り向く。 小刻みに揺れる電車は、押し込まれた人々を軋ませ、少し身じろぎすればその震えが敏感になった肌を擽らせる。 昂ぶりかけた気持ちを、人の目にたしなめられて、花京院が慌てて承太郎から目を反らすと、 丁度カーブに差し掛かった電車が、再び大きく揺れて、承太郎が窓際に追い詰められる花京院に圧し掛かった。 どく、と跳ねる鼓動が、心臓を痙攣させる。 思わず飲み込んだ息に、花京院が肩を竦ませて誤魔化すと、身体を密着させながらも、体重までは預けまいとする承太郎が、 胸に頬を擦り付けて俯く花京院を覗き込んだ。 電車が傾いた途端に両手を花京院の頭を挟んで窓に突いた姿勢のまま、見下ろす。 「どうした。」 低い、息を混ぜた囁きに、小さく震えながら、花京院が答えることはない。 ただ何度も瞼を瞬かせ、長い睫を震わせて、頑なに唇を閉じる。 僅かに赤く染まった目元は、潤んだ瞳から滲む涙に電気の光が反射して、きらきらと輝いている。 承太郎の影に居ながら、鮮やかに白い頬をうっすらと染めて、唇を噛み締める花京院は、まるで自分を抱くように、 胸に掻き込んだ鞄を抱きしめる。 承太郎の背中で、長い髪を晒した女が小さく身じろぎした。 背広を挟んで齎される、さらさらとした他人の気配に、承太郎が僅かに眉を顰めると、さっきまで承太郎と花京院を訝しげに見詰めていた 背広姿の男が、慌てて顔を逸らす。 ちらりと男の顔が二人から逸れるのを横目で見送った承太郎が再び花京院を見下ろすと、 僅かに開いた唇から、そっとため息を洩らして、上気した熱を逃がそうとする。 しかし揺れる電車は、触れ合った二人の肌を何度も摺り合わせて、耐える花京院を一層に苛む。 重なる肌から直接伝わる鼓動は、何時もよりも早く、何度も吐き出されるため息は、回を重ねる毎に熱を帯びていく。 鮮やかに変わる花京院の様子に、じっと彼を見守っていた承太郎は、彼の逸らした首筋が、薄紅に染まるのを見て気付いた。 花京院は、昂ぶっているのだ。 満員電車の、人込みの中で。 「お前―――。」 思わず呟いた、自分の声の、驚くほど艶を含んだ声色に承太郎が気付くと、花京院の肩がちいさく揺れる。 身じろぎをして承太郎の胸から離れようとする髪がふわりと揺れる。 「何でも……。」 上ずった声に、最後まで言葉を発することを諦めて、花京院が唇を噛み締める。 じわりといつの間にか背中を滲ませる汗に、身じろぎをする花京院が、近付きすぎた承太郎の胸に額を擦り付けると、 承太郎もまた、硬く奥歯を噛み締めて、肌に触れる憶えの或る熱に耐えた。 既に聞こえているのだろう、お互いの密着した肌から、鼓動が高鳴っているのが分る。 居た堪れないと強く目を瞑って湧き上がる感情に耐える花京院に、承太郎はそっと自分の足をずらして、花京院の身体を挟みこんだ。 おい、と、まるで人口密度に敬意を払っているとでも言いたげに、承太郎が唇を耳元に寄せてくる。 近づいた体温と、息まで、いつもよりも熱く感じて、花京院は思わず肩をすくめた。 「・・・大丈夫か。」 気遣っているような、揶揄しているような、どちらともわからない口調を上目ですくい上げて、花京院はそっと承太郎をにらむ。 疲れて、熱でもあるのかもしれない。それとも、人前で、こんなふうに承太郎に近く体を寄せることなど滅多となかったから、勝手が違って戸惑っているのかもしれない。 きっとそうだ。それだけのことだ。 腕と背中に力を入れながら、花京院は思った。 ふと、気配がして、うっかり驚きで出しかけた声を、見慣れた薄青い大きな掌が覆う。おい、と咎める声が、そこにこもった。 なぜこんなところでスタンドなんか出すんだ。素早くハイエロファントが、承太郎を問いつめようとしたけれど、それより早く、スタープラチナの唇が、花京院のそれを覆っていた。 瞬間、くぐもった声を誰かに聞かれたかもしれない。 それを承太郎は、何故か少しだけ、やるせないと思う。 いつもは聞かせる事の無い、悩ましげで艶のある声がこの空間に混じったと思うだけで。 (浅ましいな) ちらりと過ぎるエゴな考えはすぐ取り払った。 スタンドの手が、やや焦らすように花京院の服の中に忍び込む。 「…っ…!」 抗議の声は許さない、と言わんばかりにスタープラチナの口唇は未だにそれを覆ったままだ。 耳元に顔をよせて、挑発する様に囁けば、花京院の鼓動が跳ね上がったのを身体で感じる事が出来た。 「大人しくしてろ」 電車の揺れに合わせる様に、するりするりと下へ下がっていく蒼い冷たい腕にびくりとなる震える身体を彼は持て余す。 こんな所で、嫌だ。 思ってももう口には出せない。 花京院の口唇への戒めは、もう無いというのに。 視界の端に移る月が滲んで、ああ泣いているのかもしれないと思った。 拭われた涙がアツイ。 承太郎の碧の瞳が、キラリと艶めいた光を放った。 スタープラチナの手は、花京院の肌を、浚うか浚わないかの曖昧な強さで、撫でていく。 揺れる電車の振動に合わせて、花京院の身体が震えるのを、楽しむかのように。 降りていく透明の蒼は、花京院の腹を撫で、腰を撫で。 そしてそっと背中に廻って、強張る花京院を承太郎の元へと引き寄せた。 逸らした胸は泡だって、承太郎の胸板に擦り付けられる。 背中の窪みにスタンドの手が忍び、ぐ、と押さえると、そこは感度を増して、花京院の身体をびくりと揺らす。 「う…っ。」 洩れた声に、慌てて強張り俯くと、さっきまで二人から目を反らしていた背広姿の男が、再び視線を向けた。 明らかに様子のおかしい花京院を遠慮なく見やる。 (嫌だ……こんな―――) 滲ませた自分のスタンドで、承太郎に抗議するが、承太郎は花京院を取り込んだまま、窓の風景を見やっている。 視線は、花京院の身体を彷徨わせるスタンドとは相反して、あくまでも何事もないかのように冷めている。 腹立たしい、悔しい、けれど、表立って責めることもできず、花京院がスタープラチナの愛撫に耐えていると、スタンドは抵抗の無い 身体に業を煮やしたように、するりとズボンの中に手を忍ばせた。 「んっ」 思わず腰を浮かせるのと同時に、電車がガタンと揺れる。 駅に近付いているのだ。 背広の男が、揺れにもかまわずにふたりを見ているのに、スタープラチナがそちらを向く。手は花京院に掛けたままだ。 訝しげをとうに通り越して、一体何が起こっているのか、あらかた予想はついているらしいその男と、目の前で声と息を殺している花京院を一緒に眺めて、承太郎は、かすかな苦笑を口元に刷いた。 さすがにここではまずい。 ふと、目先のことしか頭になかった17の頃の自分を思い出して、いっそう笑みが深くなる。 あんなことは、もうできない。してもかまわないけれど、花京院に殴られるのはごめんだ。 先へは進まずに、それでも添えたスタープラチナの手は離さずに、うつむく花京院の耳元に、また唇を寄せた。背広の男が、目を見開いたのを、スタープラチナが見た。 「・・・どうする・・・?」 駅が近いのを、窓の外に向かってあごをしゃくって示す。 潤んだ瞳が持ち上がって来て、焦点も合わずに承太郎を見上げた。 唇が動いたけれど、声が出ない。何だと、もう人目もはばからずに、花京院の唇に、今度は承太郎が耳元を寄せる。 息が熱いだけで、それでも声が聞こえない。 ああまずいなと、花京院の声を聞き取ろうとしながら、思った。 暗いところで抱き合うのが常だったから、こんな花京院の表情を、こんなに近く見たことがない。熱っぽく上気した頬は、熱があると言ってしまえば通りそうだったけれど、たった今その熱が、承太郎にうつってしまった。 やれやれだぜと、花京院の唇に耳が触れそうなままつぶやいて、そうして、花京院が---ハイエロファントではなく---かすかにつぶやいたのを、承太郎は確かに聞いた。 「・・・君が、早く・・・欲しい。」 駅がもう、目の前だ。 アナウンスの機械的な声が、降車駅を告げる。 空いたドアから流れ込む空気は、こんなにも冷たかっただろうか。身体の熱を持て余すふたりを 夜風はやさしく撫でていく。 それすらも、口惜しい。 下車する寸前に振り向くと、背広の男はやや呆気に取られた表情で佇んでいた。 同じ駅じゃなくて良かったと、花京院がちいさく息を吐く。 人ごみに紛れて、承太郎が花京院の手を取り、いち早くその波から逃れようと足早に歩き出す。その背中を見つめると、また動悸が跳ね上がり、 恥ずかしいような切ないような気持ちすらこみ上げてきた。 『君が欲しい』 言った瞬間のお互いの表情を、お互いはきっと忘れられないだろう。 いつしか見たあの熱の篭った碧の瞳に捕らえられ、今も痺れて心は動けないまま。 暗闇で微かに窺える、花京院の乱れた表情の一部。 お互い何も言わないけれど、未だ繋いだ手から煩いほどの鼓動と熱が伝わる。 歩いて帰るこの距離すらもどかしくて、思わず手をぎゅっと握れば、承太郎はすこし振り向いてやさしく微笑んだ。 電信柱に隠れて口付けたい欲望はかろうじて抑える、背中に刺さる熱の篭った視線は承太郎の欲望をちりちりと痛いほどに焦がした。 無言で自宅までの道を歩く二人は、次第に足早になるのを止められない。 俯いたまま承太郎の手を握る花京院の息遣いが乱れているのは、早足の所為か、それとも昂ぶる気持ちの所為なのか。 既に余裕をなくしつつある承太郎も、判断できずにいる。 暗闇の中で、顔を合わせずに、互いの掌の温もりしか感じられないのは、何て心細いのだろう。 強く握り返す手の、熱い感触が、人通りの無い道に響く靴音よりもはっきりと感じるのは、何て安心するのだろう。 乱れる息は、唇を濡らして、何度も舌を拭わせる。 やがてたどり着いたマンションのエントランスに、カードキーを差し込むのももどかしく滑り込むと、乱暴に押したエレベータのボタンが、ダン、と音を立てた。 頭上の数値が、ゆっくりと数を減らす。 「承太郎―――。」 3 もどかしくエレベータの数字を見守りながら、花京院が呟く。 2 「…………。」 承太郎は花京院に振り向かないまま、無言で彼の手を握り返す。 1 チン、と音を響かせて開いたエレベータのドアに、二人は競って入り込むと、ドアが閉まるよりも早く、お互いの身体をぶつけて抱き合った。 エレベーターの天井近くにあるカメラのレンズをふさいだのは、ハイエロファントだった。 今はしっかりと閉じているドアの前には、スタープラチナが立って、抱き合っているふたりからは目をそらしている。 何だか、互いの体にそのままめり込みそうに腕を回して、せわしく上着の下を探ろうとする。できるだけ近く、触れ合っていたかった。待てなかった。 明日がないみたいだな僕ら。 濡れて滑って外れた唇の、ほんのわずかなすき間で、花京院がつぶやいた。 あるとは限らねえじゃねえか。 最近では、あまり聞くことのなかった、承太郎の乱暴な口調に、花京院は思わずうっとりと目を細める。 ああ、ほんとうに、そうだ。 語尾は、承太郎の唇の中に吸い込まれてしまった。 明日がないという日々を、一緒に送ったことのあるふたりだったから、それ以上言葉は必要なく、今互いが欲しいのだと、躯の熱に素直に言わせて、こんなところで、こんなふうに抱き合っている。 さすがに、素肌にはまだ触れない分別は残して---ふたりはもう、高校生でも大学生でもなかったから---、それでもなめらかな布の手触りの下の、互いの膚の感触は充分に想像できる。想像ではなくなるまで、ほんとうに、もう少しだ。 承太郎の、人並み外れて背高い体に向かって背筋を伸ばして、花京院は精一杯伸び上がっている。爪先の痛みも、今は気にならない。こうやって伸び上がってするキスにも、すっかり慣れてしまっていた。 もうすぐだ。 スタープラチナが、ぶっきらぼうに、そう背後のふたりに伝えてくる。 ふたりを乗せた鉄の箱の動きが、ゆっくりと止まる一瞬前、ふたりはようやく、それぞれのスタンドを引き戻して、もうひと時だけ、普通の貌を取り繕った。 ドアが開いたと同時に、するりと鍵を抜き出してハイエロファントは廊下の先にある玄関の鍵を外した。 その時間すら惜しいと思うなんて。 抱き合ってしまった彼らはすでにお互いの熱を共有し、離れがたい気持ちに晒されている。 また手を握り、玄関まで小走りでたどり着くと、乱暴に開けた紺色のドアから身体を滑り込ませ きつく抱き締めあった。 鋼鉄のドアはふたりの体重を受け止めて、悲鳴を上げる。 …声を上げたのはドアだけではないけれど。 貪る様なキスは痛いほどに、気持ちがいい。脳髄まで溶けそうな感覚に足が震えた。 何度も何度も角度を変え、お互いを喰いあうふたり。 亜麻色の髪の毛に差し込まれた指は、熱を教え込むように髪の毛をつかみやさしい手つきで這いずり回る。 「んん…ッ…」 漏れる声を抑えることすらもう忘れてしまいそうになる自分を律して、でも侵食される感覚にも酔いながら、花京院はうっすらと目を開いて承太郎を見つめた。 離れたお互いの口唇を銀糸が繋いで、妙に艶かしい。 ぺろりとそれを舐める花京院の瞳は、知らず承太郎を深淵まで誘っていく。 上着の下から差し込まれた手は溶けそうな程に熱くなっていた。 やや困惑の表情を見せる花京院をまるで睨むように見つめ、低く、命令するような口調で囁く承太郎に欲情したのはもう彼自身、否定は出来なかった。 「承太郎…っ…?」 「…ここで、抱かせろ」 承太郎の声が、耳を震わせ、花京院は知らず、身震いする。 息を飲み込み、承太郎を見上げると、玄関のライトに背を向けていながら、彼の緑の瞳が深く瞬いている。 「そ―――んな事……。」 言うまでもない。今更部屋まで待てるほど、余裕なんて、既に。 花京院は答える代わりに、背伸びして伸び上がったまま、舌を出して承太郎の唇をなぞった。 互いの唾液で濡れた唇を辿り終える前に、承太郎の舌が伸びる。 唇を重ねずに触れ合う舌は、お互いを痺れさせて、緊張に似た感慨を沸きあがらせる。 滴る液を啜ることも出来ず、ただ舌を絡め合うのに花京院が夢中になっていると、承太郎は自らネクタイを緩めて、背広を寛げはじめる。 先を越されまいとするかのように、花京院もまた、自らの背広から肩をはずす。 身じろぎする度にすれる背中が、金属の冷たい感触をうつして気持ちがいい。 口付けの合間に花京院がそっとため息を洩らすと、承太郎の手は花京院の髪を撫で、胸元まで外したボタンに滑り込んだ手は優しく彼の胸を撫でた。 再び重なる唇は、もう躊躇を取り除いて。 顎から首筋へと下る承太郎を促すように喉を逸らせば、わき腹に滑っていた承太郎の指先が、胸の突起に触れた。 声を殺したら、喉の奥で空気が尖った。 承太郎が、花京院のそこで落ち着いてしまおうとするのに、何となく逆らって、花京院はせわしげに承太郎の腰に両手を伸ばす。 今でもゆったりとしか締めない承太郎のベルトに、もどかしく指先を掛けた。 かちゃかちゃと響く音がひどく卑猥に聞こえて、ためらいもなく素早く開いたそこへ、両手をまとめて滑り込ませてゆく。 花京院の動きに、驚いたように身じろぎもしない承太郎の足元へ向かって、躊躇せずに膝を落とした。 片方の肩が、シャツから剥き出しになっている。裾はもう、抜き出されてだらしなく垂れ下がっている。 両手を添えて、唇を開いた。 外から眺めれば、ずいぶんと乱れた格好になっているのだろうけれど、承太郎を飲み込みながら、もうそんなことにかまう素振りもない花京院だった。 「・・・てめェ・・・」 抗うような承太郎の声が、かすれて聞こえた。花京院の、舌と喉の粘膜の熱さにすっかり包み込まれて、体は抵抗する気はないようだった。 必要なだけ引き下ろし、ずらした下着や服をまといつけた躯は、玄関には似合わない風情で、だからこそ余計に、ふたりは一緒に熱くて、その熱を、今ここでどうにかしたいと思っている。 承太郎が、腕を持ち上げて、息を吐き出しながら、目元を隠した。上目に、花京院に、見られたくはないからだ。 ドアをほとんど覆う大きな背中が、吹き出した汗で湿り始める。 前髪を揺らす花京院の喉の奥で、湿った音がした。 口の中が熱くてたまらない。 どんなに舌を動かしても、何かが足りない気がする。 頭上から降りそそぐ承太郎の溜息に耳を擽られて、カラダは正直に反応した。 撫でてくる手の動きから、彼も余裕が無いのかと感じて嬉しくなる。わざと見上げてみると承太郎は目元を覆い、短く息を吐いていた。 「は…ッ…く…」 みじかい息のあいだから漏れる糖分の混じったいとしい彼の声に、性欲が掻き立てられる。 思わず承太郎の空いた手を握って動きを封印し、思うが侭に彼自身を貪った。 (君が欲しくてたまらない) そう言ったのは嘘じゃないと、彼に証明したい。 「…ッ…花京院…」 「んあ…っ…んん…」 (いいよ、イっても) 言葉ではなく、動きでそれを伝えると、握られた承太郎の手に力が入った気がした。 甘くて苦い愛欲を受け止めて飲み干す、こんな淫靡な気持ちは初めてで、すこし戸惑いながらも花京院はそれにうっとりと溶ける様な表情で座り込んだ。 刹那、光る緑の瞳に射抜かれて。 腕を掴まれて再びドアにカラダを押し付けられる。背中に感じる承太郎の胸板は激しく上下し、彼の昂ぶりを表してくれた。 「あ…っ…」 「止めろ、なんて…言うんじゃねえ…花京院」 戒めの様に掴まれた両の腕は、展翅板にとめられる標本の様に痛々しくも美しさを放って花京院の頭上で纏められた。 短く繰り返す息が、花京院の肩から降り注いでくる。 一度解放を迎えながら、それでも情欲に濡れる吐息は忙しく、ドアから浮かせた花京院の腰に、自分のそれを擦り付けてくる。 片手で簡単に両手をまとめられているので、承太郎に振り向くこともできず、これから起こる行為に、花京院は まるで抱き合うことを知ったばかりの頃のように、怯えていた。 …子供のように。 顔が見れないだけで、竦むなんて。 思わず苦笑を洩らすと、背中を密着させていた承太郎から、息が洩れる。 「随分と、余裕じゃねぇか。」 珍しく上ずった声が、花京院の耳を擽り、長い前髪を揺らす。 余裕なんて、無いと返そうとする花京院の首筋に、承太郎の顎がかかり、髪をかき分けて、露になった耳へと噛み付いた。 「あっ!」 びく、と竦めば、だらしなく羽織ったままのシャツの中で蠢いていた承太郎の手が、ベルトのバックルに伸びる。 片手でベルトを緩めながら、承太郎の唇は花京院の耳朶を噛み、形にそってなぞって、舌を中にねじ込ませる。 鼓膜にじかに伝わる音に、花京院がふるりと首を揺らすと、張り付いたドアにぶつかった額が、場違いに響いた。 「は………ん。」 気の抜けた声を挙げると、ジッパーの降ろされたズボンは膝まで下ろされて、承太郎の手が下肢へと伸びる。 既に形付いた花京院のそれを包む承太郎の手は、乱暴にズボンを引き降ろした時とは比べ物にならないほど優しい。 包み込んで、滴るそれをゆっくりと扱き出す。 「んん……。」 動きに合わせて花京院が背を逸らすと、承太郎の胸が追いかけてきてぴったりとくっ付く。 背中も胸も、湿っているのがわかった。心臓が早い。それも一緒だ。 潤んだ呼吸が、目の前のドアを白く曇らせている。どこにどう置いているのかわからない自分の拳が、せつなさに首を振るたび、視界の隅に映った。 承太郎の手が、優しく動き続ける。仕草や言葉を裏切る、とても穏やかな触り方だ。そうしながら、位置をやや違えて、承太郎のそれが、腰の辺りに当たっていた。 知らずに、承太郎に向かって背中をすりつけるように動きながら、花京院はもどかしさに焦れている。 もっと、と声に出したいのに、息ばかり荒くて、言葉にならない。 もう少し。もう少し。 躯に言わせても、承太郎には通じない。こんな時には、ことさら優しくなる承太郎だったから、たとえはっきりと口にしたところで、花京院が今欲しがっている半分も、きっと与えてはくれないだろう。 与えられないのではなくて、ただ、与えないのだ。 それがひどく残酷なことだとは気づかない承太郎の、まだ残る稚なさを、いつもは好ましいと思うのに、今日は気ばかり急いて、花京院はついに、ドアから手を外した。 右手を、無言で承太郎の手に重ねた。掌越しに、自分の熱が、熱い。 「承太郎。」 励ますように、そそのかすように、乱暴に、自分の手を動かそうとした。 戸惑ったように、動きを緩めた承太郎の掌の中に、強引に自分の指先を滑り込ませようとする。 「承太郎。」 もう一度呼ぶと、いきなり目が覚めたように、承太郎の手が、花京院の指に添ってくる。動いて、まるで苛むように、そう花京院が望んだ通りに、承太郎が触れてくる。 安堵したように、思わず息が漏れた。 背中と胸が、一緒に揺れる。 「承太郎。」 繰り返す声が、次第に輪郭をはっきりさせ、そして、音量を増す。 ぶ厚いドアに叫ぶように、声が当たって跳ね返る。それに応えるように、もっと声が大きくなる。 承太郎が、花京院から外した片手を、あごの辺りに添えて来て、そうして、花京院をたしなめるように、その口元を覆った。 唇に触れる承太郎の指が濡れている。かまわずに、花京院はそれを舌先で舐めた。 やさしい口付けですら、お互いを煽る材料にしかならないのを、カラダで理解している。 絡みつく舌、掌で翻弄される熱。 「はあ…っ…ん…ッ…!」 喉を逸らし、解放を求める彼のしどけない姿は薄明かりに照らされて妖しく艶をもって光った。 もっと欲しい、おねがい。 少女が玩具を強請る様に、自らも手を動かす花京院を心から愛しいと思う。 自分の手の中で翻弄される彼を壊してしまいたいと、そんな欲望に駆られてしまう。それは慈しむ行為とは離れていても承太郎の愛情表現に他ならない。 短い喘ぎを繰り返す横顔を、気が付かれないように慈愛の視線で撫でた。 耳の後ろにそっと口唇を落とし、安心させるようにぺろりと舐めると 承太郎は苛めるように性急に、彼を攻め立てるように昂ぶった熱を花京院の体内へと、飲み込ませた。 「っあ…じょ…たろう…ああ…っ」 「あんまり声あげると、外に漏れちまうだろ」 律動を始めるカラダに翻弄されながら、掴むところがない花京院の腕は鋼鉄のドアの上で、承太郎の手の下で蠢いた。 「聞こえてもいいなら、我慢なんざしなくてもいいんだぜ?」 言葉には愛と、 ちょっとの毒。 「ああ…っ…く…んん…」 言い返そうと言葉を作っても、漏れ出すのは鳴き声。 徐々に早くなる動きに気が付けば身体を合わせ、もっとと強請る仕草と表情を作り、花京院は啼いた。 「あっ…じょうたろう…もうっ…」 「…好きに、しな」 「――っ、ああ…!!」 鋼鉄のドアは彼の熱を受け止めて、艶かしく濡れた。 解放を遂げた身体は、力を失って、肩で息を繰り返しながらも、だらりと承太郎の前で屈みこむ。 「ん……。」 いまだ身体の中に承太郎を取り込んだまま、弛緩する花京院を、承太郎は抱え込んで小さく腰を揺らす。 「まだ、だ。」 承太郎を置き去りして恍惚にたゆたう花京院を抱き起こすと、ぼんやりとした視線を向ける彼の顎を取り、唇に自分のそれを擦り付ける。 ゆるゆると続く律動に短く息を漏らしながら、承太郎の口付けを受ける花京院は、とろりと解放の名残を滴らせる。 その、温かな体液が承太郎の手を汚し、顰めた眉の下から覗く鳶色の瞳が涙で濡れたのを見た瞬間、 承太郎は今までの緩やかな愛撫を裏切るように、自身を花京院の中に突き立てた。 柔らかな愛撫に酔っていた花京院の目が、見開かれる。 悲鳴を挙げようと喉を引き攣らせるが、重なった唇では声を挙げることもできず、代わりに重ねた手に爪を立てて、苦痛に答えた。 激しくなる動きに合わせて、花京院の膝がドアに何度もぶつかる。 息が出来ない苦しさに、身体を捩って承太郎から逃げると、やっと解放された唇は、酸素を求めて大きく開かれる。 「あ………かっは…っ」 びくびくと突き上げられる度に揺れながら、喘ぎの合間に息が洩れる。 少しでも楽な姿勢になろうと無意識によじれる身体が、承太郎から逃げようとするのに、彼は深く突き立てた腰で花京院をドアに押さえつけ、ゆっくりとかき回した。 喉を逸らした花京院が、一際声を張り上げる。 痙攣を始めた体内は、承太郎をも苛み始め、二人の身体が同時に揺れながら、徐々に動きは早くなっていく。 限界が近い、承太郎のそれが、一層熱を帯びて花京院の中で抜き差しを繰り返し、再び擡げた花京院の熱を強く握りながら、 解放されようとする衝動に、身を任せようと、したとき。 部屋の奥から、電話のベルが鳴り響いた。 音を聞いた瞬間に、思わずちっと舌を打った。 その音で、花京院が首をねじ曲げて、承太郎を斜めに見上げる。前髪に隠れた瞳が、ぼんやりと熱で潤んでいた。 もう一度、今度はさらに大きく舌を打って、承太郎はするりと花京院から躯を外す。 こういう時の決断は早いのが取り柄だ。 時間を小刻みに止めながら、くたりと手応えのない花京院を抱えて、玄関へ上げて坐らせ、同時に投げるように靴を脱いで、もちろん開いて乱れた服は手で押さえている。そのまま、鳴っている電話の方へ、忌々しげに走って行った。 留守電に切り替わり、何かよくわからない会社の名前をまくし立てているのが聞こえ、承太郎は、さらにもう一度、舌を打った。 ばたばたと、普段にない行儀の悪さで玄関へ戻ると、かろうじて体を覆った服は、手だけで押さえて、まだそこに坐らせた時のままの姿勢でいる花京院の、やや丸まった背中が見える。 「おい、動けるか。」 ふるふると、こちらを向かないまま、首が揺れる。 「・・・電話は?」 「知らん。今度掛けて来がやったら、会社ごと潰してやる。」 中断されてしまった腹立ちが、口調に隠せず、それを、花京院の肩が笑って揺れた。 力なく笑うのに、どこか傷つけてしまったろうかと、さっきの自分の乱暴さを急に思い出して、承太郎は、花京院の傍にしゃがみ込んだ。 「立てるか。」 肩に両手を添えると、花京院が、その中に、まるで花束でも投げ出すように、ゆらりと体を投げかけてくる。 抱きしめようとした時に、花京院が、ゆるんでだらしなくぶら下がっている承太郎のネクタイを、ぎゅっと手元に引いた。 「電話なんか、放っておけばよかったんだ・・・」 どこか、怒ったような声に聞こえて、戸惑ううちに、承太郎から体を引いた花京院が、くるりとこちらを向いて、承太郎の肩を力いっぱい押しながら、のしかかってくる。 「おい。」 玄関もあれだけれど、ここは廊下だ。固くて冷たい。しかもドアを開ければ、丸見えだ。 靴を脱ぎもせずに、花京院が、もたもたとズボンや下着をずり下げているのが、あごを引いた胸元に見える。 「おい。」 もう少し強く呼んだけれど、承太郎の上に、何とか収まろうとしている花京院に、届いている様子はない。 「ちょっと、動かないでくれよ。」 命令口調でそう言うと、ゆらゆら頼りない肩を広げ、背を伸ばして、後ろへ回した手に、承太郎を探る。 中途半端に脱ぎかけた服のせいで、細部はよくは見えなかったけれど、どうやらそのまま繋がろうとしているのだと、さっきの続きを、この形で再開しようとしているのだと、わかってどうしていいのか、承太郎にはわからない。 まるで酔っているように頬を赤くして、あれほど綺麗好きな花京院が、よりによって土足のまま、半裸で、承太郎の上に乗っている。 これは夢かもしれないと思って、承太郎は、体の力を抜いた。 薄ぼんやりとした視界で、花京院の身体がゆっくりと動く。 :受け入れようと足を広げ、喉を逸らして痛みに耐え、快感を享受する恍惚とした表情がここからでも窺えた。 触れ合ったところがもう溶けそうに熱くてアツくて子供のように首を振った。 「承太郎、じょうたろう」 しどけなくも、切ない声。 承太郎は心底鳴ったベルを恨んだ。 「そんな顔すんじゃねえ」 触れ合うだけで繋がらない身体を持て余す、そんな顔させたいんじゃないんだ。 そっと頬に触れれば、汗と、きっとこれは涙 濡れた頬に、上半身を起こして口付けた。 「じょうたろう…?」 「じっと、してろよ」 今までとは違う声音に、こくりと素直に花京院は頷いた。 「ここじゃ、思いきり抱けねえ」 「僕の事は、気にしないで」 余裕がない恋人を慰めるように、やさしく、口唇だけのキスを降らせる。涙の味がして、ぺろりと舌を出してそれを舐めた。 「ここで、いいから…」 花京院は喉を逸らし、惜しげもなく胸を晒して、承太郎の熱を飲み込もうと腰を落とした。 やさしくしてやりたい、でもそれを理性が邪魔して。 花京院の動きに合わせて、気が付けば下から突き上げる事を止める事が出来なかった。 上半身を起こして、仰け反った喉を食い破るように口付ける。 「…どうなっても、知らねえぞ…」 ここでお互いの熱を放たないと、もうどうしようもないのだと、花京院が身体で告げてくる。 きつい締め付けに、承太郎の熱が体内に放たれると、呼吸も出来ないと喘いでいた花京院の身体が波打った。 肩で呼吸をする、心地よい疲労感。 承太郎の上に覆いかぶさる身体からは熱がまだ失われていない。 :慈しむように口付ける。 見下ろされた承太郎の瞳もまだ、たゆたう海のようにあやしく揺れた。 「…足りねえって顔だな、花京院」 「解ってるなら…聞くなよ……ん…」 生意気な言葉はキスで飲み込んだ。 何度も唇を啄ばむと、自然笑みが零れる。 繋がったまま、口付けを中断させて、額を付き合わせると、肩が揺れて、お互い、苦笑しながら微笑んでいるのだと分り、 喉だけで震わせた空気に、声を添えて、悪戯をした子供の、決まりの悪さを滲ませながらも、共犯になった妙な爽快感が沸き起こる。 まだ、熱は冷めていないのに。 ゆっくりと承太郎が身体を離せば、花京院が小さく揺れて、名残のため息を吐く。 その艶やかな声にまたぞろ湧き上がる自分の欲望に、承太郎は苦笑すると、彼を抱きかかえて立ち上がった。 瞼に差し込む日の光に、ゆっくりと目を覚ますと、ぼんやりとした視界に映る二人の掌が絡み合っているのが見える。 承太郎は何度も瞬きながら、次第にくっきりとしてくる視界に低く唸って、まだ覚めきっていない頭のまま、絡めた手を引き寄せた。 「ん……。」 花京院の指先に口付ければ、寝返りを打った彼が、承太郎の方へと顔を向ける。 あの後ベッドで絡み合った二人は、薄皮のように纏った理性を破って、何度も熱を分け合った。 最後に子供に戻った花京院の、舌足らずに承太郎の名前を呼ぶ声を、腕の中で聞きながら、 承太郎もまた、全身が溶ける感覚に酔いしれた。 おかげで、重だるい身体は軋んで、上手く動くことすらできない。 心底今日が休日だったと思いながら花京院の寝顔を見守ると、彼もまた、まどろみから目が覚めたのだろう、瞼を揺らして、 カーテン越しに差し込む朝日に目を細めた。 「……た……ろ…。」 呟いた声は、酷くかすれている。 上手く出せない声に戸惑いながら、花京院が困った顔で承太郎を見詰める。 短い挨拶を交わして、目覚めた格好のまま動かずにいる花京院に覆い被さると、そっと頬に口付ける。 「起きられるか。」 そっと耳打ちすれば、彼は無言で首を振る。 見上げてくる瞳はあどけなく、起き抜けの、無防備な顔はこんなにも幼いのかと、承太郎は目を細めた。 きっと玄関には、脱ぎ散らかされた衣服のほかに、乱れた二人の残骸が散乱しているのだろう。 子供の頃の、無鉄砲な愛情を、今も持ち続けている自分達に笑いながら、承太郎は花京院を抱きかかえる。 二人で、一緒にシャワーを浴びて。 花京院が動けるようになったら、揃って部屋の掃除だ。 照れ笑いに耳の後ろを掻きながら、承太郎が花京院に囁くと、彼は子供のように声を立てて笑った。 了
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