You're my only shining star.





がらがらと部室のドアを開けて承太郎が顔を出すと、丁度記録紙をファイルに挟み終えた花京院が、立ち上がった頃だった。

西日の柔らかに差し込む、快適な部室は、部員が少ない(と承太郎は思っている)割りに良い場所を確保できている。それも生徒会にも所属している部長の根回しの賜物であるのだが、それを取り立てて意見する勇気ある輩は、居ない。

花京院は承太郎を認めると、お決まりの『育ちのよさそうな』と形容される笑みで微笑んで、『やぁ。久しぶり』と嫌味なのだか素直な感想なのだか分からぬ挨拶を付け加えた。

長い髪を後で簡単に縛って、きっちりとネクタイを締めた首筋から、白い項が見える。

度の少ない眼鏡は、いつぞや彼が零した『その方が都合が良いから』という理由で申し訳程度に彼の視力を補っているが、眼鏡の奥の瞳は西日を反射して榛色に染まっている。その所為で、普段は優等生然として近寄り難い雰囲気のある彼の様相を、幾分柔らかくし、赤みの掛かった髪が一房だけ顔に掛かり、少年特有の、静かな艶やかさを醸しだしている。

承太郎は『おぅ』だか『あぁ』だか分からない曖昧な返事を返して花京院に近付くと、彼が手にしたままのファイルへと目をやった。

にこにこと笑ったままの花京院からファイルをひったくり、ぱらぱらと捲ると、紙一面に大きく書かれた円の端に、筆で記された沁みのような模様が見えるだけだ。

「…昼寝に来たのかい?鍵なら持ってるだろ?」

喉を鳴らして笑いながら、花京院が問う。

「いや、たまには顔出さねぇとな。…部長殿が顧問に叱られるのは忍びないもんでな。」

申し訳程度に視線をファイルに移したまま返す承太郎に、花京院の笑みが濃くなる。

「そう思うんだったら。…もっと頻繁に出てきてくれれば、僕も下級生の女の子達に恨まれなくて済むのに。」

彼らの通う高校は、文武両道を掲げている為か、生徒は必ず何処かの部に属さなければいけなくなっている。それは学校はおろか近所でも有名な不良で通っている承太郎も例外ではなく、彼は一番活動の地味な、一番欠席をしても差し障りの無いという理由で天文部に属している。

しかし彼が部活動に参加するなど月に一度あるか無いかで、その上、たまに顔を出しても、大概は部活動の終わる時間にのそりと現れては、まだ日の高い内は部室に置いてある長椅子に横になり昼寝に耽るか、部長である花京院に無言で星に関する資料…天文学の本やプラネタリウムの鑑賞券…を突き出して去っていくかで、彼の姿を見られる者は、部長の他にたまたま居合わせた運の良い生徒だけ、ということになっている。

そんな、『巷でも有名な札付きの不良』なる承太郎の評価というものは、学校という閉鎖された、ある意味社会から守られた集合体からすると、一様に同じとは行かないらしく、何処で聞きつけたのか、女生徒の間では『空条先輩に会えるかもしれない』と、天然記念物よろしく、天文部の部員を増やすことに成功しているし、結果、部費も充分にもらえているという効果を発揮している。

花京院の言葉に顔を顰め、承太郎は捲っていたファイルを乱暴に閉じると、首を傾けたまま承太郎を見上げる花京院に突き出した。

「…おい、それよりなんだこりゃ。毎日毎日丸の中に沁みしか描いてねぇぞ。」

「あぁ、それは黒点だよ。」

「―――黒点?」

「そう、黒点。太陽の黒点の動きを観測する。」

尚も口を広げて、黒点に対する気象の効果を説明しようとする花京院に、腕を振って『知っている』と吐き捨てると、花京院は『さすがは天文部だ』と鷹揚に笑って見せた。

「君は星専門だと思っていたよ。」

「…相変わらず、嫌なヤロウだ。」

呟きながら顔を逸らすと、くすくすと心地よい笑い声が響いた。その声に何となく落ち着かなくなり、承太郎はがりがりと髪を梳き直す。

「それで―――、もう帰るのか?」

「うん、終わり。」

「…まだ放課後始まって30分も過ぎてねぇぞ。」

「だってもう黒点は観測したから。」

「そんだけかよ。」

「そう。『そんだけ』。」

随分と手短な部活動だと呆れながら見下ろすと『これでも地道な活動が後々多大な研究の成果に結びつくことにもなるんだ』と、花京院は笑顔のままだ。

「僕はもう帰るけど、承太郎は残っていく?」

ちらりとソファに目をやれば、斜めに差し込む光の筋に、チラチラと埃が輝いて舞っている。日陰に置かれたソファは、誰に座られることもなく沈黙したままだ。

「いや…俺も帰る。」

「そう―――じゃあ、一緒に帰ろうか。」

ソファに目をやっていた承太郎の耳に、掠れ気味の声が響き、思わず目を向けると、俯いた花京院の耳に飾られたピアスが目に入った。赤珊瑚の小さなピアスは、彼が何時もつけているものだ。きっと視線を動かしたのだろう、小さく揺れる其れは、光を帯びて揺れながら、花京院の白い頬に薄紅色の斑点を断続的に齎している。

ちらちらと浮かんでは消える赤い点が、承太郎から視線を逸らした花京院の顔に掛かる様に釘付けになりながら、承太郎は喉の奥で曖昧に返事をした。だらりと降ろしたままの腕がひくり、と動き、知らず揺れるピアスに手が伸びる。

頬に触れるか触れないかの位置まで承太郎の手が伸びたのを、視界の端に捉えた花京院が振り向く。見上げた視線と見下ろす瞳がかち合い、耳に手が触れようとした瞬間。

「部長ー。お先に失礼しまぁす。」

がらりと扉を開けて、女生徒が顔を出した。

彼女の声に我に返った二人は、弾かれたように身体を揺らすと、そろってドアに振り向いた。

身体を傾けた所為で長い黒髪が耳から滑り落ちるのを指で支えながら、ひょっこりと顔を出す彼女は、承太郎の姿を認めると、途端に頬を染める。

「あぁ。…お疲れ様。」

花京院は見詰め合った時の、驚きと戸惑いの含んだ顔を、何時も通りの柔らかな笑みに変えて返すと、小さく手を振って女生徒を見送った。

閉じたドアの先から『きゃあ』と廊下に甲高い声が響く。

承太郎は天を仰いで大きくため息を付いた。伸ばしかけた手をどうするつもりだったのか、内心言い訳を繰り返しながら何度も拳を握りしめる。しかしその様子を花京院は女生徒の反応にうんざりとしているのだと介したらしい、苦笑しながら見上げると『僕らも帰ろう』と机の傍らに掛けた学生鞄を手に取った。





廊下に、きちんと履かれた靴と踵の踏まれた靴が並んで歩く音が響く。

だらしなくネクタイを垂らした承太郎の胸元で揺れる花京院の髪は、今は解かれて、承太郎が目を奪われた項は見えない。

押し黙ったままでも不思議と居辛い雰囲気と無縁なのは、花京院の特徴なのかもしれない。元々無口な承太郎が押し黙ったところで、花京院としては今更なのだろうが、代わりに自ら話しかけることも無い彼は、ただひっそりと佇むだけで、妙な落ち着きを承太郎に与える。

けれど先ほどの、触れかけた肌の、僅かに伝わる温もりが、ちりちりと承太郎の指先を苛み、俯いた瞳の長い睫の揺れる様が、何時もになく承太郎を焦らせる。まるで時間内に話さなければならないかのような、『早く、早く』と急かされるような感覚が、承太郎の鼓動を早め、ちらちらと花京院の俯いた横顔を認めては、唸るように呟いた。

「さっきの…あれもウチの部員だったか?」

―――随分とマヌケな言葉だ。

花京院を『部長』と呼んだ時点で、彼女が天文部に属していることなど明らかなのだ。そもそも幽霊部員の承太郎が、花京院に確認する程、天文部の部員に興味などあるわけがない。花京院ならそんなことは、承太郎が考えるまでもなく看破しているだろう。

しかし花京院は、苦し紛れに発した承太郎の発言の意図に気付いた様子もなく、どころかひくり、と身体を揺らして承太郎に顔を向ける。驚いたまま承太郎に振り向いた所為でずれた眼鏡の上から、潤んだ瞳が小さく揺れた。

「え?…あぁ。そうだよ。……何、気になるかい?」

『君好みの、日本人形のような美人だね。』と張り付いたような笑みを浮かべて答える花京院に、承太郎は激しく顔を顰める。

「俺の好みは外見じゃねぇ。…だいたい、あんな煩瑣ぇのなんか御免だ。」

長い、真直ぐな黒髪の、色の白いほっそりとした少女。彼女は一言で言うならば、日本人形のような外見の、淑やかな美人だ。けれど承太郎にとっては、外見など彼の好みに左右されるものではない。


彼が求めているのは。



「―――そう。……良かった。」

廊下に響く靴音にまぎれて、小さく花京院が囁いた。聞き取れなかったと振り向いた承太郎に、花京院は俯いたままだ。

見下ろせば、睫の一本一本まで区別できる程の近くに、花京院が居る。瞬きする度に、影が出来る程長い睫は、髪と同じく赤みがかって、その下に見える眼鏡は、彼の通った鼻筋を隠している。

頬から唇までのなだらかな曲線に見惚れていると、花京院が急に振り向いた。

「承太郎、君、これから時間あるかい?」

再びかち合った瞳は、今は濡れていない。

その様に少し残念に思いながら、承太郎は頷いてみせる。

「そっか。なら、僕本屋に行こうと思ってるんだけど。…良かったら一緒にどうだい?」

『良かったら、だけど。』と、あくまでも控えめに誘う彼は、承太郎の返事に期待している様子はない。花京院は、承太郎が、自分のテリトリーに入られるのを酷く嫌うのだと思っている。それが女性だろうと、男性だろうと、友人だろうと、もっと特別な―――誰か、だろうと。

承太郎はそんな花京院を見詰める。緩やかに微笑む彼の、少しだけ不安に揺れる瞳を見つめる。本当はもっと近付きたいのだと、理解したいのだと、けれど立ち入って良いのかわからないのだと戸惑う瞳は、承太郎を少しだけ感傷的にさせる。


彼が、欲しいと思っているのは。



優等生の花京院と、それとは対極にいる承太郎が、こうして一緒にいるのは、確かに彼が名目だけとは言え、同じ部活に属しているからだ。

けれど彼が天文部に入ろうと決定付けたのは、単にサボりやすいから、ではない。

入学して直ぐに上級生にもみくちゃにされながら行われた部活動の勧誘から逃れて、部室の並ぶ廊下をだらだらと歩きながら、何気なく覗いた天文部の部屋に、彼は居た。

好意的に話しかける上級生に、上品に座った椅子から心持ち前のめりになって、柔らかく微笑んで見せた彼は、『星が好きなのか』と、天文部の門を叩くのであれば当然の答えが返ってくるはずの、部員の凡庸な質問にさえ丁寧に答えて言ったのだ。

「緑に輝く星が、綺麗で好きなんです。」

と。

星なぞ、緑一色でもなく、瞬くだけでもない。けれど彼はわざわざ色一色を指定して、子供のように素直に『綺麗』だという言葉を、自分達の年齢では恥ずかしくて云えない言葉を言ってみせたのだ。

思わず立ち止まった承太郎に振り向いた、その彼の。

承太郎を認め、彼の緑の瞳に目を奪われたのか、一瞬の驚きの後、ふわりと恍惚に微笑むその姿に。

承太郎は、目を奪われたのだ。

彼が承太郎ではなく、承太郎の瞳に見惚れていたのだと気付いても尚、承太郎は、花京院から目が離せずにいた。

それからもずっと、承太郎は花京院から目が離せずにいる。

柔らかな言動とは裏腹に、少し尖ったところがあるところも、プライドが高く、愛想がいい割に人と群れるのを嫌うところも、謙虚でありながら、勤勉であるところも、控えめで優しいが、皮肉と機知に富んだ言葉を吐くところも。

全て、承太郎を惹きつけて、離さないでいる。

「…遠慮、すんな。」

こんなにも承太郎の方から近付きたいのだと、ともすれば、意識せずに触れ合いたいのだと思っているのに、彼の方は、親しい友人でなくとも、帰りが一緒になれば当然掛けるだろう誘いすら、戸惑っている。

「俺には、遠慮しなくていい。」

呟いた承太郎の、見下ろした視線に、花京院は目を見開くと、特有の眉尻を下げる笑みを返した。

「そうするよ。」

微笑みかける花京院の、鳶色の瞳が真直ぐに承太郎の、緑の瞳に向けられるのに、承太郎はふん、と顔を逸らす。

僅かに歩幅を開いて彼の横から前に出ると、

「本屋の隣の、ハーゲンダッツ!」

背中に声が浴びせられた。

振り返ると、花京院が広い口に両手を添えて、笑いながら叫んでいる。

「…驕ってやるから、付いてこい。」

顎を挙げて促すと、彼は『やった』と呟きながら駈けてきた。

ぱたぱたと、花京院が駆け寄ってくる足音が近付く。

承太郎は背中を向けたまま、僅かに微笑んだ。

「―――まったく、嫌なヤロウだ。」





パラレルな上に無理な設定も入ってますがご愛嬌。

2008.2.24